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東京地方裁判所 平成10年(ワ)5644号 判決

原告

甲野太郎

原告

甲野花子

右両名訴訟代理人弁護士

井上清成

小嶋勇

根石英行

被告

乙山株式会社

右代表者代表取締役

丙山一郎

右訴訟代理人弁護士

松尾公善

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告甲野太郎に対し、金二六六万三〇四五円及びこれに対する平成九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野花子に対し、金二六六万三〇四五円及びこれに対する平成九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らが、ピアノ及びチェンバロの演奏練習場用などに使用する目的で、被告に対し東京都目黒区上目黒〈番地略〉所在の△△ハイム一階A号室(以下「本件建物」という。)の別紙平面図の洋室1及び洋室2につき請け負わせた防音工事が、契約で定められた水準に達するものではなく、これを修補するためには五三二万六〇九〇円の経費がかかるなどと主張して、被告に対して、同額の損害賠償と被告に対して調停の申立てをした日の後である平成九年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  (争いのない事実)

1  被告は、土木建築工事の設計、施行などを目的とする株式会社である。

2  原告らは、平成七年三月二一日、被告から本件建物を代金五七三一万三〇〇〇円で購入した。

原告らは、同日、被告との間で、金二七〇万円で本件建物の洋室1及び2の部分を防音構造にすることなどを内容とする設計仕様変更契約を締結した(以下「本件防音工事契約」という。)。

3  被告は、平成七年一一月一九日、本件建物を完成させ、同年一二月一五日原告らに引き渡した。

二  争点

1  本件防音工事契約で定められた防音の水準がいかなるものであったか。

(原告らの主張)

被告が原告らから請け負った防音工事は、人に迷惑をかけない防音であり、これを大建工業株式会社の防音基準等級に当てはめれば、S防音(遮音性能五〇ないし五五デシベル)である。このことは、集合住宅におけるピアノ室の防音工事の目安が一般的にS防音程度とされていることや、被告の孫請けに当たる株式会社東急百貨店作成の設計図の床、壁、天井防音構造にダイケンS防音程度との記載や二重サッシの記載があることなどからも明らかである。そして、ピアノ室におけるS防音においては、防音性能の目安が五〇ないし五五デシベルとされているところ、JIS A―1417に準拠した騒音性能測定結果によると、室間音厚レベル差は二六デシベルから三四デシベルの間で、右防音性能の基準を達成していない。そして、原告らは、右不備のため、本件建物を演奏用練習室として使用することが不可能であり、右使用目的を実現するためには、新たに防音工事をやり直す必要があり、そのためには金五三二万六〇九〇円の経費がかかる。

(被告の主張)

原告らが、被告に対し、本件建物の売買代金(五七三一万三〇〇〇円)と合わせて、合計六〇〇〇万円の範囲内で防音工事を見積もることを依頼し、原告甲野花子がプロの演奏家としてコンサートのための練習や、仕事での伴奏の合わせなどで使用するとはいわなかったことから、被告は、丙山工業株式会社に対し本件建物の防音工事をA仕様(子供のピアノ練習の部屋に適合するレベル)で発注し、同社は株式会社東急百貨店に委託した。A仕様の防音性能の目安は四〇ないし四五デシベルである。しかし、丙山工業株式会社は、原告らからの入念な施工を求める要請を受けて、洋室1及び2の床、壁、天井をダイケンS防音程度の設計で施工したから、現実にはA防音の防音性能を上回る結果となっている。このことは、本件建物内部と隣家との間の遮音性能を計ったところ、D―五五からD―六五という、日本建築学会遮音等級上、特級に該当する測定結果が得られたことからも明らかである。

2  本件防音工事の瑕疵の有無(原告らの主張は時機に遅れた主張か否か)

(原告らの主張)

被告は洋室1について、壁を防音工事にする旨約したにもかかわらず、物入れと洋室1との間の壁の箇所、洋室1とクローゼットの奥、庭側換気口に通じる洋室1の梁部分を防音構造にすることを怠った。また、洋室1について、開口部についても少なくともA防音の性能を約したにもかかわらず、二〇デシベル強の減少性能しか実現できていない。さらに、洋室2についても、クローゼットの奥、庭側換気口に通じる洋室2についても、開口部について少なくともA防音の性能を約したにもかかわらず、一五ないし二〇デシベルほどの減少性能しか実現されていない。

(被告の主張)

原告らの右主張は、弁論準備手続終結後で、証人B、同C、同D、原告甲野花子の尋問終了後になされたもので、時機に遅れた攻撃防御方法として却下を求める。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(甲一ないし六、同一〇の1、2、同一一の1ないし3、同一五、同一六の1ないし8、同一七の1ないし4、同一八、同二三、乙一、同二の1ないし3、同三ないし五、同八ないし一三、原告甲野花子、B、C、D)によれば、原告らは、平成七年三月二一日に被告から本件建物を五七三一万三〇〇〇円で購入したこと、本件建物を含む△△ハイムは、もともと居住用建物として設計施工されたもので、管理規約の使用細則にも各住戸は居住の用途に供し、テレビ、ラジオ、ステレオ、楽器等の音量を著しく上げてはならないとされていたこと、原告らは、右同日、二七〇万円で被告との間で本件防音工事契約を締結したこと、同契約では、洋室1(約六畳)及び洋室2(約5.7畳)の壁・天井に防音工事を施すほか、洋室1のクローゼットの奥行き、洋室2のドアの位置、クローゼットの奥行きを変更し、キッチンカウンターの下部に物入れを増設し、洗面脱衣室の防水バンの位置を変更し、さらに洋室1ないし3およびL・Dにエアコンを設置するなどの内容を含むものであったこと、ただし、原告らがグランドピアノを洋室2に搬入するための切り返し空間を確保するために必要であると主張する洋室3のドアの位置変更を含むものではなかったこと、本件防音工事契約の請負代金が右のとおり二七〇万円となったのは、原告らが被告に対して、本件建物の売買代金と本件防音工事契約の請負代金の総額を六〇〇〇万円以内に抑えてもらいたいとの条件を提示し、被告がこれに応じたことによるものであったこと、しかし、実際には、本件防音工事には五七〇万六二〇〇円の経費がかかり、二七〇万円との差額は被告が負担したこと、本件防音工事契約を締結するに当たって、原告らと被告との間で、大建工業株式会杜の定める防音基準等級のうち、本件で問題となっているS防音ないしA防音とする旨の具体的な約定がなかったこと、被告担当者Cは、予め原告甲野花子に対し、本件建物には窓や換気扇などの換気口があるから、多少の音漏れは避けられないと告げていたこと、これに対し、原告の甲野花子は、人に迷惑がかからない程度の防音工事を求めたに過ぎず、被告担当者に対し、年二回ほどチェンバロの演奏会に出場するとか、子供にピアノを教えたいとの希望を告げたものの、J学園ピアノ科の講師をしており、本件建物をかかる仕事上の演奏のための練習場として使用する予定であるなど、防音工事の程度を判断するに参考となる事項を告げなかったこと、大建工業株式会社仕様の防音工事における防音程度としては、S(スペシャル)防音、A(アドバンス)防音、B(ベーシック)防音があるところ、S防音が最も防音性能が高いもので、優れた防音性能と美しい音響が求められる部屋のための等別仕様であり、オーディオマニアの部屋、音楽レッスン室、音楽家の練習室など、プロの使用に応える本格的な防音構造であり、防音性能の目安は五〇ないし五五デシベルで、材料費の目安はピアノ室で約二二五万円程度(一〇畳見当)とされていること、一方、A防音は、大きな音を出しても、隣近所に余り気兼ねをせずに過ごせる防音レベルで、子供のピアノ練習室や自宅でカラオケを楽しみたい場合などに適合し、防音性能の目安は四〇ないし四五デシベル、材料費の目安は約一二五万円(八畳見当)であること、一般に建物の遮音性を五デシベル上げるには、およそ二倍の費用が、したがって一〇デシベルの遮音性を得るには四倍の費用がかかり、いかなる防音程度を求めるかは費用と相談しながら検討する必要があること、被告は、本件防音工事契約に基づいて、右防音程度のうち中等度であるA防音を選択したことがそれぞれ認められる。

2 右認定したところ、すなわち、原告らが本件防音工事契約を締結する際に、被告に対し要求した防音性能としては、人に迷惑をかけない防音というあいまいなもので、大建工業株式会社が定める防音基準等級のうち、S防音に相当するような現在の技術水準における最高水準の本格的な防音工事を施すよう明確に求めたものではなかったこと、かえって、原告らは、被告に対し、本件建物の売買代金と本件防音工事代金の合計が六〇〇〇万円以内に収まるよう要求したほか、原告甲野花子は、被告担当者Cから、事前に本件建物には窓や換気扇などの換気口があるから、多少の音漏れは避けられないと告げられながら、人に迷惑がかからない程度の防音をすることを求めたすぎなかったこと、本件防音工事契約の請負代金はS防音を前提とする算定となっていないこと(S防音であれば、材料費だけで一〇畳見当で約二二五万円となるのに対して、本件防音工事契約で締結された請負代金は二七〇万円で、洋室1(約六畳)および洋室2(約5.7畳)に防音工事を施すほか、間取りの設計変更を行い、洋室1ないし3及びL・Dにエアコンを設置するという内容のものである。)などからすると、本件防音工事契約で原告らと被告との間で、S防音の性能を前提とする契約が成立したと認めることはできない。

3  この点、原告らは、そもそも集合住宅での防音工事はS防音が基本であるほか、少なくとも、被告担当者は原告甲野花子の技量が音楽大学の学生以上の水準であり、同女が本件建物内でグランドピアノを演奏し、その練習が夜間に及ぶことを原告甲野花子から聞いて承知していたこと、また、被告も本件防音工事契約で定められた防音程度をS防音であると考えていたことは、株式会社東武百貨店装工部作成の平面図(乙四)において、洋室1及び2において床、壁、天井の防音工事について、ダイケンS防音程度との記載があることなどから明らかであるから、本件防音工事契約で定められた防音性能としてはS防音程度であったと主張する。

よって、検討するに、たしかに、甲一六の五(大建工業株式会社のカタログ)によれば、マンション・RC造住宅のピアノ室の防音グレードとしてはS防音のみが紹介されている。しかし、同じカタログの別の箇所では、防音工事については要求するレベルが高くなれば費用もかさみ、実現したい静かさのレベルをどの程度にするのか目標を設定することが大切であるとして、大きな音が発生するところはA防音、さらに高度な防音や音を防ぐだけでなく音の美しさがテーマとなる空間には、オーダーメイドの音響設計によるS防音を選ぶとの記述があり、結局、いかなる防音程度を要求するかは、求めたい防音性能の程度とそれにかかる費用との相関で定まるものというべきであるから、集合住宅ではS防音以外の選択肢がないとはいえず、当事者間において明確な防音程度の合意があったといえない本件において、右記載からS防音とする旨の約定があったとの解釈を導くことはできない。

また、原告らが、本件建物を購入するに当たって、本件建物内にグランドピアノを搬入することを予め明確に告げていたと主張する点については、B、D及びCはいずれも、当審における証人尋問で原告らが本件建物内にグランドピアノを搬入するとは聞いていないと証言しており、実際に、本件建物はグランドピアノが入る構造となっておらず、本件防音工事契約そのものがグランドピアノの搬入を前提とする内装の変更を含むものではないこと、被告が本件建物内に最初に持ち込んだピアノがグランドピアノではなく、アップライトピアノであったこと、原告甲野花子自身、本人尋問で、本件建物内にゆくゆくはグランドピアノを搬入する予定であったと述べていること(原告甲野花子の本人調書・速記録五、一六頁)などからすると、そもそもグランドピアノによる演奏が本件防音工事契約において、防音程度を決定する際の重要な要素として、原告らから提示があり、原告らと被告間で取り上げられたとまでは認め難いところである。次に、原告甲野花子が、本件建物内でピアノ教授をしたいと述べたことなどは、本件防音工事契約における防音工事の程度を考える上で、考慮する要素とはなり得るとはいえる。しかしながら、原告甲野花子は、被告に対し自らのプロフィールを明らかにすることなく、Cから本件建物には窓や換気扇などの換気口があるから、多少の音漏れは避けられないと告げられながら、かかる部分からの音漏れに難色を示した上、かかる開口部からの音漏れも防ぐ、大建工業株式会社仕様のS防音に相当する本格的な防音を要求したとまでは認められないから、かかる事情をもって原告らとS防音を前提とする契約が成立したということはできない。さらに、被告が本件防音工事契約を締結する際、S防音程度の防音性能であったとの認識を有していたとする点については、そもそも、被告が本件防音工事契約で請け負った請負代金がS防音に相当する金額となっていない上、Cの当公判廷における証言や、乙三(設計変更項目)の記載(床、壁、天井をダイケンA防音工事とする)からすると採用できない。

4  そして、洋室1及び洋室2と一〇一号室及び二〇二号室の各部屋との間の遮音性能測定結果(乙六―平成八年七月二日実施)によると、集合住宅における室間音圧レベル差において、特級(特別の遮音性能が要求される使用状態の場合に適用)に当たるD―五五からD―六五の性能があったこと、窓を閉めた状態で洋室1ないし洋室2でピアノを弾いた場合に、隣家から音がうるさいとの苦情が申し立てられた形跡がないことからすると、被告の防音性能の選択は不適切であったとも言い難い。この点、原告らは、人に迷惑をかけない防音性能を考えるに当たっては、隣家との間の遮音性能を測ることは意味がないというが、原告らが、人に迷惑をかけない騒音として、主として隣家を念頭において被告との間で本件防音工事契約を締結したことは、原告甲野花子尋問の結果からも明らかであるから採用できない。

二  争点2について

1  原告らが、当初、本件訴訟で主張した本件防音工事の問題点は、被告との間で大建工業株式会社の防音基準等級にいうS防音の工事を行うべき契約が成立していたところ、同水準に従った工事がなされていないというものであり、右主張に沿って弁論準備手続において争点が整理され、原告甲野花子、当時の被告担当者B、同C及び同Dの各人証の調べが行われた。しかるに、原告らは、各尋問終了後、洋室1及び洋室2の防音性能を業者を使って簡易測定したところ、開口部における防音性能が被告が主張するA防音の性能も達していなかったことが判明し、更に明らかに防音工事を行っていない箇所が発見されたとして、本件防音工事の瑕疵の主張を新たに追加した。

2  しかし、右新主張は、本件防音工事契約で定められた防音程度がいかなるものであったかという、それまでの契約の解釈の問題とは質的に異なるものであり、原告らは既に訴状の段階で甲五(大建工業株式会社による騒音測定結果)を引用して、A防音の性能基準すら達していないとも主張していたところ、最終的に右契約の解釈の問題に本訴訟の争点が集約されたものである。しかも、原告らが指摘する防音性能の調査は簡易測定によるものであるから、今後、更に規格に沿った正式な測定を行う必要がある上、右簡易測定結果は、原告らがJIS A―1417に準拠した騒音性能測定結果であるとして訴え提起と同時に提出した右大建工業株式会社による騒音測定結果と異なる内容のものである。そこで、原告らの新たな主張について審理をするとなると、原告らにおいて新たに正式な測定を行った結果を踏まえ、大建工業株式会社の騒音測定結果との相違が検討の対象となることが考えられる。また、原告らは、本件防音工事がS防音程度との主張が認められないことに備えて、本件防音工事に手抜き工事があったと主張して、個別の瑕疵を主張しているが、右による損害賠償額は、本件防音工事を一からやり直すことを前提として算出した原告らの被告に対する損害賠償額とは異なることが予想され、新たにその立証を要することになるものと考えられる。

3 以上によれば、原告らの新たな主張は、原告らの重大な過失により時機に遅れて提出された攻撃防御方法であり、これを審理することにより訴訟の完結を遅延するものであるということができる。よって、民事訴訟法一五七条一項によりこれを却下する。

三  以上によれば、原告らの請求は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官・西森政一)

別紙平面図〈省略〉

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